当時のIT状況
1993年、私はアメリカのニューヨークに住んでいました。
渡米してすでに最初はフリーター生活を満喫して遊び回っていた私も、4年ほど立ったその頃は、日本で覚えたプログラミング経験を活かしてあれこれシステム開発を請け負うようになっていました。
プログラミングの経験、と言っても東京で二年間COBOLの仕事をしただけでした。しかし、要はコードを書いてコンパイルすれば動くね、というごく簡単な認識さえできていれば、後は応用だと思っていました。それは今でもあまり変わりません。
ただし、それ以外が大変で、業務を分析する事、各レイヤのモジュールを選択する事、最終的にはコンサル的な立場から顧客の事業の方向を見て役立つシステムを具申したり改善を提案したりする事が必要です。
最初は、人の紹介で日本向けの販売会社や学校の仕事を請けることができ、当時一般オフィスにもある程度普及していたMacintoshで開発を始めました。いまは影も形もありませんが、当時US ArmyやUPSが使っていた4GLツールのCAUSEというツールで開発していました。
もともとオープン系の経験が無かった私は、システム開発系の業界雑誌を読み漁り、世の中でどんなソフトウエアが使用されているのかを探りました。その結果、オープン系ではUnix系、Windows、Macintosh といったOSがあり、RDBではOracleやSybaseといったものがある事を知りました。
当時は新しいインフラ、OS、開発言語や手法が頻繁に新しく発表されしのぎをけずっていました。百花繚乱という趣があり、熱い議論や戦いが繰り広げられていました。今はまた違うレベルでGoogle対Facebook、Google対Appleなどネット上のプラットフォームの戦いになってますが、当時はまだOSは何が主流になるのか、DBは?言語は?開発ツールは?といった話題が多かったと思います。
オープン系の世界に足を踏み入れたばかりの私は、とりあえず手近にあったMacintosh上の開発ツールを採用していくつかプロジェクトをこなしていましたが、あれこれOSやミドルウエア、言語がある中で私の体はひとつ。ソリューションをどれかに絞りたいと思った私は「今後なにがトレンドになるのか?」と悩んでいました。日本に帰国した際に昔の仲間に聞いてみましたが、誰もオープン系の経験がありませんでした。
その頃、ふとしたきっかけで某通信系会社に働くNと知り合い、偶然同じ現場でインフラとソフトウエアをお互いに担当したりする事にもなり、仲良くなりました。