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システム開発者の自己紹介

このサイトでは、私が1980年代から従事していたソフトウエア開発プロジェクトのご紹介をします。その中で、わたしなりに当時気づいたこと、工夫したことを紹介していきます。

始めたころの環境

私が始めてソフトウエア開発に携わったのは1980年初頭で、メインフレーム上のCOBOLでの開発でした。

ワープロも無い時代ですから、仕様書もコーディングも鉛筆でA4用紙に書いていた時代です。

仕様設計が遅れるとお客様から数十ページに及ぶものをFaxで延々送ってきたりしますので、Fax用紙を切らさないよう気を使ってました。個人が必要な物は鉛筆と消しゴム、雲形定規と書いたものを上から消すホワイト。なので当時の、いわゆる大規模系業務システム開発の会社には、パソコンが無かったのです。その代わりに各自の机の上に灰皿があり、部屋中煙でモクモクでした。

40歳以下の人には想像も出来ないでしょうが、コーディングしてからコンパイルできるまで、一週間ほどかかりました。マシンが遅かったからではありません。そもそも事務所にパソコンもないのですから。

そのわけは、以下のような手順が必要だったからです。

  1. コーディング用紙を郵送でパンチャーに送ります。
  2. どこかでパンチャーのお姉さんがタイプします。
  3. パンチカードが分厚いスタックになって送られて来ます。
  4. パンチカードをお客様に申請します。
  5. お客様の会社のコンピュータにコードが登録されます。
  6. お客様の会社に伺ってログイン、やっとコンパイルできます。

パソコンが普及して以降は、手元ですぐコンパイルどころか環境を揃えて実行することが普通になりましたので、とても便利になりました。まずワープロで打ったコードをフロッピーで持ち運びができるようになりました。

そしてMS-DOSが普及し、大きな話題となりました。処理系は若干違いますが、オフィスでCOBOLをコンパイルできるようになりました。そのあとC言語が登場し、言語レベルでは処理系の違いがとても少なく便利になりました。現在主流となっているJavaは、言語レベルに加え、環境へのアクセスまでもJavaの処理系に吸収したため、ポータビリティが格段に向上しますが、少し後の話となります。

私自身は、ソフトウエア開発の仕事を二年ほどしてお金を貯めたあと渡米してしまいました。その後、1990年台初頭のバブル崩壊、湾岸戦争の頃までソフトウエア業界以外の活動をしておりましたので、残念ながら、その後始まったそういっためくるめく変遷を体験していません。

皆さんが昭和30年代以前に生まれた技術者とお酒を飲むと、そう言った苦労話が聞けるかもしれません。

復帰したころの状況

私がソフトウエア開発の仕事を再開した頃には、すでにMS-DOSとMacintoshが普及しており、初めてMac Plusを見た時、以前と比べなんと便利になったのかと、驚きました。

CompuServeやAOL、社内BBSのクローズドな時代からインターネット電子メール、NCSA Mosaic、Netscapeへの移行。
PHPなど画面とロジックの分離ができるようになり、そしてJavaが台頭、ApletからServelet、JSPからStrutsなど優れたフレームワークの出現やEJBによる分散システムの普及。
国をまたいでのプロジェクトが便利になったなと思っていたら、それがオフショアと呼ばれブームに。

考えてみると、この25年間は本当におおきな変革の連続でした。私の印象に深く残ったプロジェクトを当時の業界の動きとともにご紹介し、なにかみなさんのお役に立てればと思います。

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